ユメウツツ

君ありて、幸福

相対※伍

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僕の始まりのお話
まだ誰にも明かしたことの無い僕の真実
それを打ち明けるのが、まさかこんな子供相手だなんて

「くーろーあーめ、早く聞かせろよ
お前が人嫌いだって言い張るワケを」

「うるさい…いま頭の中を整理中なの!
僕が人間に対して最初に抱いた感情は…
…そう、確かに嫌悪じゃなくて…」

物心がついた頃の感情
僕が人として初めて抱いた気持ちは"恐怖"だった

"先生"はそんな僕を治さないまま
恐怖を"嫌悪"に摩り替えてくれた

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「…せんせい、ぼくはおかあさんをころしたいんです」

無機質な診察室で幼い声が訴える
対面には白衣を着た20代後半の男性医師が1人
真面目な顔で男児の言葉に耳を傾けていた

「どうしてそう思うのかな?
お母さんに何か嫌な事をされたの?」
「いいえ」

「分からないけど殺したい?」
「…生きているのがこわいから」
「生きているのが?」

「おかあさんだけじゃない、おとうさんも
みんな…人が生きているだけでぼくは
こわくて、いやなんです」

その頃の僕は人間として生まれた事に絶望していた
優しい両親と祖父母
何かと目をかけてくれる親戚
おそらく、理想の家族

だけど僕は耐えていた
吐いてしまいそうな気持ち悪さに
毎日、毎日、耐えていた

「いい子ね…可愛い私の子」
ああ、鬱陶しい…気持ち悪くて仕方がない
でも、どうして?
僕はどうしてこんなにもおかあさんが怖いんだろう
どうしておとうさんに抱き上げられると死にたくなるんだろう

どうして

二人を、殺したくなるんだろう…

そんな事を考えながら過ごしていたある日
僕はとうとう耐えかねて
頭を撫でる母親の手を噛んだ上に
嫌だ、やめてと喚き散らした

息子の豹変に母親は特に動揺し
何かの間違いだ、私の子供はそんな悪い子ではないと
自分に言い聞かせ僕を正そうとした

「ねぇ、どうしてママを避けるの?ママのこと好きでしょう?好きよね?」
「…」
「ああ!どうして!?ママはあんなにも貴方を大切にしていたのに!」

「……」

「ママの目を見なさい!

ゆうと! !」


---


「えっ?」

静かに黒雨の生い立ちを聞いていたユウトが
目を丸くしながら声を上げた

「まさかお前の本名って…」

「そうだよ、ビックリした?
さすがの僕も最初に君の名前を聞いた時、ちょーっと驚いたよ…まぁ字は違うけど」

手近にあったメモ帳に自身の本名を漢字で書いて見せた

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「優しい音でユウトね、今のお前からは掛け離れた名前だな…」

「まさか、僕はこんなにも優しいのに?
…冗談だよ笑え」

「無理」

「はぁ、君ホント可愛くない
ああ、そう、それで話の続きだけど
母親は言うことを聞かない僕を心の病気だと信じて疑わなくなったんだ…」

そして、当時5歳の僕は精神科に連れて来られた
事情を聞いた病院側は
疲れ果てた母親が暴力を振るう可能性も考え
僕を家と親から離す為、隔離病棟へ入院させた

それから毎日、決まった時間に医者と話をした
正直それも苦痛ではあったが
不思議と担当医に対しては
耐えられないほどの恐怖心は無く
思いの外、落ち着いて話が出来た

「幼少期のそういう心は大人になると消えていく傾向にあるんだけど
でも…君は、そうだな
恐らく大人になっても人が怖いままだろう
憶測で悪いんだけどね」

「ぼくもそうおもいます」

「うん、まぁ僕はそれをどうにかしてあげたい
君の気持ちはそのままでいいとしてもだ
大人になってから生きづらくなるはずだ
今も…苦しいだろうけど、もっとね」

「はい」

「人を怖がって怯えていては弱く見られる
すると心無い人間に虐げられる可能性が高まる
恐怖は増し、自己防衛に走ると
君の中に人をある傷つけるという選択肢が色濃くなる

だから、恐怖ではなく嫌悪に変えよう
嫌いなものは避ける選択肢の方が強くなりやすい
もちろん例外もあるけれど…

人が嫌い、だから避けるという思考を君に植え付ける
そうすれば最悪の事態は起こりづらいだろう」

「せんせいはわるいひとなの?」

「まぁ、医者としては失格だね」

少し困ったように笑って背を向け
カルテに目を落とし何かを書き込んだ後
僕の方へと向き直り静かに見つめた
その先生の目は暗く、冷たく、ただ僕にとっては
何より優しかった

「せんせい、ぼくあなたがすきだよ
ひとだけど…すきだよ」

「はは、ありがとう
僕も君が好きだよ」

それから毎日、僕は先生のカウンセリングを受けた
もちろん1、2年で変わるものではなく
先生と出会ってから5年後にようやく全てが終わった
僕はちょうど10歳になっていた
すっかり人は怖くなくなり
代わりに吐き気がする程の嫌悪感を抱えた

「優音くん、君は賢いからきっと大丈夫
また人が怖くなったら僕の所へおいで」

「ありがとう
僕、今はもうあなたが嫌いだよ」

「そうか、それは良かった」

「でも人にしては好きな方だよ」

「うん」

「じゃあ、さよなら先生」

「さようなら優音くん」

ふと病院の出入口に目を向けると両親が立っていた
母は痩せ細り父は疲れた顔をしていた
僕を見るなり駆け寄り抱きつく2人に対して
特に思う事は無かった

「だけど、その温もりの鬱陶しさを
今でもちゃんと覚えてる…」

「だから、怖いんじゃなく嫌いなんだと」

「そうだよ、君のせいでその感情も崩れかけているけどね
先生が施してくれた治療は洗脳みたいなものだから
解かれれば、消える…つまり、そう
僕は今、君が怖い…気がする」

「…」

「残念だったね、僕が君のお兄さんと違って
これじゃ殺される理由も無くなったんじゃない?」

「…ああ」

「じゃあ帰って、二度と僕に関わらないで」

「…いや、黒…優音、教えてくれ」

「なぁにユウト」

「俺の兄貴は、お前と同じだったと思うか?
それとも、ただの気狂いだったと思うか?」

「さぁ?でも、僕と少しは気が合いそう
僕もね、来世は鳥になりたいんだ」

無邪気に笑う彼に兄の面影は無かった
だけど、その瞳に落ちた影は
生前の兄と同じ色をしていた

きっと、兄も人が怖かったのだろう
そして同じくらい憎くて嫌いだったのだろう
そんな感情が掛け合わさり、兄は日に日に壊れていったのだ
ただ静かに、緩やかに、壊れて
そして、母を、自らを死へと追いやった

正しい答えなど判らない事は知っていた
そんなもの本人にしか解らない
だけど一縷の望みをかけて
俺は彼に近づき、こんな所業をしてまで
少しでも兄の心を知りたかった

結果、残ったのは俺が心の鍵を壊した
怖がりの青年一人…これをどう償おう
もう一度、鍵をかける必要があると思うのだが
五年もかかった洗脳を再びと言うのは可能なのか怪しい

「…お前、なんか勘違いしてない?」
「!」

黙り込んだ俺の顔を覗き込み
黒雨が小さく笑う

「洗脳が解けかかった程度で僕が人を殺めると思うなよ
お前は知らないだろうけど、僕には約束がある
仲間と交わした僕の安寧を守るための約束だ
それがある限り、僕は人を殺せない
お前が気にすることなんて一つも無いんだよ」

突き放すような声の後、仕事用の笑顔を作り
「君との仕事はこれで終わり…お疲れ様」
と、肩にぽんと手を置き一瞥すると
彼は楽屋から出て行った

追いかけるにも理由は無く
ただ心の隅に残った言い難い感情の意味を
何度も、何度も探ったが
遂に知ることは無かった

数日後、Vanneの楽屋には
いつも通り机の上にスイーツを並べ
黙々と食べる黒雨がいた

そこへ「おはようございます」と静かに扉を開け
咲玖が現れたかと思うと、黒雨を見るなり傍に寄る

「ふふ、今日は早いね黒雨、おはよう
この間のユウトくんとの仕事どうだった?
サイン書いてあげた?」

「…おはよー咲玖たん
君まだあの子が僕のファンだと思ってるの?
どうもこうもただの仕事だったよ
彼、僕のファンでも無かったしー」

「そうなの?冬羽なんて『黒雨にとうとう俺たち以外の友達が?!』って騒いでたけど…」

僕としてはそもそも君達は友達だったの?!
って感じですけどね、言わないけど

「あーやだやだ、ちゃんと社長にオネガイしておいてよ
二度と外部の人間と関わらせないでって
今回みたいなイレギュラーもお断り!」

「そういうのは自分で言うべき「咲玖たぁん、おねがーい」

「分かったよ…でも、思ったより機嫌も悪くないし
もしかしたらなんて考えたんだけど、新しいお友達」

「ん、ふふ…ははっまさか!
無い無い、ぜーったい無い!
これ以上、関わる人間が増えるとか無理!

だって僕は…そう、君達人間が大っ嫌いなんだから」

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相対※了

出演:黒雨
ユウト
咲玖

文:恩田啓夢
絵:珈琲チョコ

お読み頂きありがどうございました。