ユメウツツ

君ありて、幸福

『相対』✱参

俺はその目をよく知っていた

嫌という程、見慣れていたんだ

 

俺には五つ年の離れた兄がいた

特別、頭がいいとか顔がいいとか

そんなんじゃなかったけど

とにかく優しい兄だった

 

いつも俺のくだらない遊びに付き合ってくれて

母親の手伝いも率先してやりながら

仕事から帰って来た父親を労い肩を揉む

そんな自慢の兄だった

 

だけど、気付いていた

兄が時折みせる"眼差し"

憎しみと畏怖の混じった視線

それが日常の至る瞬間に現れては消える

 

まだ幼い子供だった俺に

その眼の意味を知ることは出来なかったけれど

本当は兄が家族を嫌いなのかもしれないと

そう、心の片隅で考えたりした

 

ただ、父や母は何も気付いていないようだった

兄の優しさに誇りを持っていて、反抗期が無かったことを度々他所の親に自慢していた

 

ある冬の日

父は出張、俺は学校のクラブ活動で家には母と兄しかいない日があった

そんな特別な事じゃない 今までも何度かあった

だけどその日は、特別な日になったんだ

 

クラブ活動を終えて帰宅すると

いつも玄関まで迎えに出てくれる母がいなかった

少し不思議に思ったけれど、料理でもしていて手が離せないのだろうと気に止めなかった

 

「ただいまー」

 

開けっ放しのドアからリビングに入ると

そこにはソファに寝ている兄がいた

 

「兄さん、こんな所で寝たら体が痛くな...る...」

 

それは、寝ているというにはあまりにも惨い

大好きな兄の変わり果てた姿だった

 

包丁で胸をひと突き、その柄を握りしめたままの両手には

血で染まった紙がくしゃくしゃになって握り込まれていた

 

俺は恐る恐るその紙を引き抜いて、震える手で開き、読んでみた

 

"その存在が罪だと

人間はいつまで経っても気付かない

だけど同じ人間の僕には気付かせる術がない

消え去るしかないんだ

俺は生まれてくる種を間違えた

さようなら、来世はどうか鳥になれますように"

 

「...なんだよ、これ」

 

頭の中に、優しかった兄の笑顔と俺だけが気付いていたあの眼がぐるぐると駆け巡った

 

目眩と吐き気に襲われ急いでキッチンへ向かうと

シンクを目の前にして何かに躓いて転んだ

 

起き上がり、後ろを振り返る

 

緑色のエプロン

柔らかいロングワンピース

緩く束ねた髪にシンプルなバレッタ

それは紛れもなく母だった

 

お腹の辺りから流れ出している赤色が

俺の足元までつたっているのを見て

息をすることすら忘れそうになった

 

それからの事はあまり覚えていない

きっと外に飛び出して近所の人に助けでも求めたのだろう

気づいた時には父が帰って来ていて、警察官が慌ただしく動いていた

兄と母がいた場所には血痕だけが残っていて

その後、二人の姿を見たのはお葬式の時が最後だ

  

"兄による無理心中"事件はその方向で片付けられた

動機は不明という事になっている

 

俺が見つけた兄の遺書は、警察には見られていなかった

記憶にない放心状態の中で無意識に隠したらしい

何故隠したのかは俺にも分からない

そしてその遺書は、今も俺の手元にある

 

✱✱✱

 

当時、七歳だった俺は今年十五歳になった

事件から八年が経過した今でも

時折あの日を夢に見る

 

今は父とアパートで二人暮らしをしている

元々は一軒家だったけれど、住み続けるには辛すぎたために引っ越した

 

父はあの日から仕事漬けの毎日を送るようになった

"働いていると気が紛れるんだ"といつも疲れた顔で話す

お酒やギャンブルに逃げなかったのは、まだ子供の俺がいたからかもしれない

 

斯く言う俺も十四歳で芸能の仕事を始めた

学校で退屈な授業を繰り返し受けたところで気は紛れない

慌ただしくて、賑やかで、休む暇もないような仕事が良かった

最初は子役事務に入ってノウハウを学んで

セルフプロデュースで活動するようになったのが十五歳の誕生日の後

 

次の仕事で自分が参加する雑誌のバックナンバーをペラペラと捲っていたその時

一人の男に目が止まった

 

黒髪に小さな顔、小柄な身体...そして

 

「兄さんと同じ眼...」

 

 

同じと言っても色形じゃない

眼差しだ

憎しみと畏怖が混ざったような眼

 

雑誌の写真だからだろう、その要素は微々たるものだった

でも、じゃあ素のコイツの眼はどうなんだ

兄さんが時折みせたあの眼より

もっと強い憎悪が含まれているんじゃないか

 

「...コイツになら分かるのか?」

 

"生まれてくる種を間違えた"と嘆いた心

"鳥になれますように"と願った最期

兄さんの気持ちが、考えが、苦しみが、本性が

同じ眼をしたコイツになら...

 

 

 

 

 

 

✱続く✱

『相対』✱弍

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どれくらい経ったのだろう

ふと目を覚ますと 更衣室の床に寝ていた

いや、寝かされていたというべきか

 

そこに結斗の姿はなく ただ傍らには衣装が綺麗に並べられていた

それが僕の着る分だと理解して勢いよく起き上がる

 

撮影は?どうなった?

あれからスタッフはここに入ったの?

精密ドライバーは...

 

混乱した頭で何とか物事に優先順位を付ける

まず凶器のドライバーを探して隠さないと

それから着替えて外に出てみよう

それほど時間が経っていないのなら ここにいない結斗は先に着替えて外へ出たのだろう

スタッフがここに入って来ないようにしてくれている事を願う

 

「何を...言ったんだろう」

 

ドライバーを探しながら 意識が途絶える直前の出来事を思い返した

『お前は人間が嫌いなんじゃなくてさ

人間が──だろ?』

何度繰り返しても肝心な所が思い出せなかった

朦朧として聞き取れなかっただけなのか

聞きたくなくて遮断したのかさえ分からない

 

「...って、ドライバー無いし」

 

さほど広くない更衣室をくまなく探したけれど

ドライバーどころか、血痕ひとつ見当たらなかった

何の為かは分からないけれど結斗が持ち出したんだろう

 

ドライバーを諦めて早々と着替えを済ませた

乱れた髪も整えて靴を履き替える

 

ドアノブに手をかけたところで深呼吸をして

まだ少し残る気持ち悪さを落ち着かせてから外に出た

 

✱✱✱

 

「あ!黒雨さん入りまーす!」

 

更衣室のすぐ側で待っていたスタッフが声を上げると 他のスタッフがコチラを見る

 

「よろしくお願いしまーす!」「黒雨さん髪ちょっとセットしますねー」「今日の衣装は水OKなんで海入っての撮影も出来ますけど、あんまり無理しなくていいからね」

 

ヘアメイクやカメラマン、衣装さんにアシスタント

様々なスタッフに声をかけられながら砂浜を歩いて行く...と

 

「くーろあーめさんっ!」

 

背後から馴れ馴れしく姿を現した彼の笑顔には

もうあの冷たさは感じられなかった

最初の演技よりも完璧な演技で、子供らしく無邪気な空気を醸し出していた

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絆創膏はスカーフで上手く隠されていて 僕としてもホッとした

撮影直前のモデルに傷を付けるなんて...例え結斗が自らした事だとしても気分が良いとは言えない

 

「ユウトくん...よろしくね」

「はい!よろしくお願いします!」

 

僕もいつものように笑顔を作り 何事も無かったかのように撮影を始めた

 

目線を、手を、背中を...仲良く合わせながらカメラのシャッター音を聴く

正直この瞬間にも吐き気が止まらないし ハッキリ言って逃げ出したい

だけど、これでもプロとして仕事をしているのだ

レンズ越しのカメラマンの目を騙すのは もはや僕の特技だった

 

例えば雑誌の読者が僕らの写真を見て

プライベートでも仲が良いのではないかと勘違いするほどの演技をする事も容易で...

 

「精密ドライバー、記念に貰っておくぜ黒雨」

 

撮影も終盤に差し掛かった頃

波打ち際で戯れながら 小声で耳打ちされる

 

「記念って...な 、ん...!」

 

突然の事に気を取られたところを押されて転んだ

上には結斗が被さっている

押し倒されるとは...不覚

 

「いちいち距離が近いよ 君

僕そういう趣味ないから、やめて」

 

少し離れた場所にいたスタッフ達が「大丈夫ですかー?!」などと声を上げている

カメラマンもファインダーから目を外し、こちらを心配して首を伸ばしていた

 

「ほら、早く起き上がらないと不審に思われるよ

本性バレたら困るんでしょ?ユウト...」

 

軽い舌打ちをして体を起こし、僕に手を差し伸べて笑った

スタッフの前で その手を払うわけにもいかず渋々手を取ると

少し乱暴に引き上げられた

 

「言っとくけど、逃がさねぇから

お前には俺を殺してもらう...必ずな」

 

水飛沫と音に紛れて 冷たい声が降る

一体、何故こんな事になったのだろう

結斗はどこで僕の人間嫌いを知って

どういうつもりで殺されようとしているのか

 

そして、もし結斗の言った通り 僕が人間を嫌いな訳じゃないのなら

この吐き気の原因はどこにあるのだろう

考えても答えは出ないことは分かっていた

「人間が殺したいほど嫌い」

この気持ちは物心付いた時から変わらないのだから

 

✱✱✱

 

撮影は順調に進み1時間ちょっとで終わった

その間なにかと僕に触れようとする結斗にイライラしたけど、こんなくだらない遊びは今日限りだ

 

逃がさない...なんて、逃げるに決まってる

もう仕事の話を持って来ても関係ない

心証が悪くなろうがなんだろうが断る

 

スタッフに軽く挨拶をしてさっさと更衣室に向かった

後ろでは結斗がカメラマンと楽しそうに話している

あんな本性を隠してよくやる...僕は必要以上に人と関わりたくないから 演技をするのは仕事の間だけだ

仕事が終われば足早に帰る

たまに顔見知りのスタッフから打ち上げに誘われるけど、適当に理由を付けては逃げている

 

そこまで考えてふと違和感を感じた

この違和感に関して深く考えたくないような、でもハッキリさせたい気分だった

 

果たして逃げるとは どんな意味を持つ言葉だっただろう

そこに生まれている心理は どんなものが相応しいんだっけ

僕は自然を壊すくせに直せない

直そうとしてさらに壊していく人が憎い

だから消えて欲しい、関わりたくない

いつも逃げたり遠ざけることに必死だ

 

だけど、憎いと嫌いは微妙に違う

じゃあ僕が人を嫌いなのは

 

どうして...?

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『お前は人間が嫌いなんじゃなくてさ

 

人間が"怖い"んだろ?』

 

心にかけていた鍵が、壊れる音がした 

 

 

 

 

 

 

✱続く✱

 

 

『相対』✱壱

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草木が枯れ、動物達の眠る頃

僕は"奴"と出会った……

 

✱✱✱

 

「え、外部の子供と仕事ぉ?

やだ!ぜーったいヤダ!!」

 

咲玖に呼ばれてカフェに来て

奢ってくれると言うのでケーキを3つ頼んだところで

こんな事なら来なければ良かったと後悔した

 

「やだ…って、もう決まってるんだよ黒雨

来週 その子と一緒に雑誌の撮影をしてもらうからね」

 

目の前には写真付きのプロフィールと

仕事内容の書かれた資料が置かれている

写真に写っているのは無愛想な表情をした金髪の少年

見るからに生意気そうである

 

「えー、っていうかこの子だれー?僕らの事務所の子じゃないよね?」

 

「ユウトくんだよ、結ぶに一斗二斗の斗で結斗くん

芸能事務所には所属しないで セルフプロデュースで活動してるんだって

まだ15歳なのに...凄いよね」

 

ニコニコしながら感心している咲玖を見て

ああ やっぱり平和主義者って呑気だなーと思った

 

15歳の子供がセルフプロデュース...

つまり大人にあれこれ言われる事なく

自由気ままに芸能界を生きているのだ

性格に難がある可能性は大きい

 

それに一つ、気になる事がある

 

「ねぇ 僕は契約でVanneメンバー以外とは仕事しないはずなんだけど

なんでこの子との仕事が決まってるの?」

 

人間が嫌いな僕がこの世界で仕事をするには

かなり無理があったんだけど

それでも引き受けたのは この契約があったからだ

何故ここに来てそれが反故にされたのか

全く訳が分からない

 

「うーん、それがね この結斗くんたっての希望らしいよ

事務所としても契約の話はしたんだけどね

ドタキャンされても構わないから とにかく仕事の話だけでも黒雨にしてくれって

もしかして...黒雨の熱烈なファンなのかな?」

 

爆発しろ昼行灯

"ドタキャンされても構わない"?

プライベートのお誘いならまだしも

こと仕事においてそんな馬鹿な話があるか

既に仕事内容は僕に通った

ここで無理矢理断ろうが本当にドタキャンしようが

心証が悪くなるのはこっちだ

このやり方は僕の退路を完全に断つ為

 

「...そんなに僕に会いたいんだ ユウト」

 

改めてプロフィール用紙を見てみた

趣味がアクアリウムなのに好きな食べ物は焼き魚

どういう神経をしてるんだこいつは

 

しかも僕より背が高いとか...気に入らない

 

「きっとすっごく会いたいんだよ

1日だけだし 一緒に仕事してあげなよ

ついでにサインくらいプレゼントしたら?」

 

完全に結斗をファンだと勘違いしているおバカさんは置いておいて

会いたいなら会ってやろう

何が目的かはどうでもいい

二度と僕に近付きたくなくなるようにしてやろう

 

そう、思っていたのだけど...

 

✱✱✱

 

吐く息も白いこの季節に

僕らモデルは夏服を着て撮影をする

来年の特集に載せる写真を今撮るのだ

 

今回、ロケ地も相手から希望があった

 

目の前に広がるのは

どこまでも続く、ゆらゆらと、青い...

 

「...海とか、馬鹿じゃん」

 

そりゃあ夏のロケーションとして

海での撮影は避けて通れないけれど

ただでさえ初対面の奴と仕事なんていう地獄をこれから味わう僕に

相当な酷い仕打ちである

 

「最初から長引かせるつもりはなかったけど

本当にさっさと終わらせよう」

 

衣装に着替えるために仮設の更衣室に向かった

結斗はまだ来ていないのか、今のところ会ってはいない

 

なんならこのまま来なくても...

 

「あ」

 

願い虚しく そこに彼はいた

更衣室の奥で夏服に身を包み 鏡でバランスを調整している

 

鏡越しに目が合った瞬間

少しだけその口元が歪んだ気がした

 

「あ...黒雨さん

その、挨拶が遅れてすみません

衣装のサイズが合わないかもしれないとスタッフさんに言われて

急いでフィッティングしてたんです」

 

慌てて申し訳なさそうに頭を下げて

少し丈のあっていない裾を広げてみせる

その仕草は子供らしく、礼儀は大人っぽい

ただ それはその辺の馬鹿にしか通用しない

 

「挨拶なんか要らないし、ましてや"すみません"なんて思ってもないこと言わなくていいよ

ユウト...僕に用があるんでしょ?」

 

ほんの数秒 僕を見つめた後

すぐに表情を戻して、笑った

15歳という年に似合わない

酷く冷たい笑顔

 

「お前さぁ、人間嫌いなんだって?」
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「!」

 

ゆっくりと近付き、僕の真後ろにある扉に手を伸ばすと

目を見たまま静かに鍵を掛けた

 

「...やっぱり本性はバレたら困るんだ?」

 

「まぁな、だからこれから先の会話はオフレコ

お前も本性バレたら困るだろ?黒雨」

 

少し遠くで撮影の準備をするスタッフ達の声が聞こえる

仮設の更衣室だから防音性は低いけれど

扉を閉めてしまえば 会話はそうそう聞こえない

 

「質問に答えろよ、お前 人間嫌いなんだって?」

 

未だ鍵に指を掛けて 僕との距離を取ろうとしない態度に吐き気がする

 

「そうだよ。だから...

 

僕から離れて」

 

腰のシザーケースから精密ドライバーのマイナスを取り出して

結斗の首元に突き付けた

 

「うわ、凶器持ちかよ 信じらんねー」

 

そう言いつつ 彼は大して怯まなかった

ギリギリでドライバーを避けながら その指はまだ鍵に触れている

 

「離れてってば、気持ち悪い」

 

皮膚に軽く刺さる程度に力を込めると

僕の要求とは逆に、手を掴んできた

 

その行動に驚いて手の緩んだところを逃さず

あろうことかそのままドライバーを自らの首へ突き刺した

 

「な...に、してんの」

 

早く引き抜こうと力を込めるも 案外強い結斗の握力に負けて

引くことも離すことも出来ない

 

「はは、お前さぁ

人ひとり殺せないクセに人間嫌いとか

 

...浅ぇな 雑魚」

 

抵抗を止めた僕の手ごとドライバーを引き抜くと

傷口を手で抑えながら部屋の奥へ歩いて行く

 

やっと離れてくれたというのに 気持ち悪さは残ったままだ

結斗の血が付いたドライバーを その場に捨てることも仕舞うことも出来ずに立ち尽くした

 

「あーあ、こんなんじゃ死なねぇよ

次はもっとマシな凶器持ってこい」

 

私物であろうトートバッグから 大きめの絆創膏を取り出し

手馴れた様子で貼りながら文句を言い出した

 

「ナイフはやめとけよ、ダセェから

まぁ 精密ドライバーも有り得ねぇけど」

 

嘲笑し、また僕の方へ近付いてくる

距離を置きたくても後ろは扉 逃げ場はない

 

「...君は 死にたいの?」

 

先程よりは距離の空いた所で立ち止まると

僕の問いに満足気な顔を見せた

この質問を待っていたみたいだ

 

「死にたいんじゃなくて、殺されたいの」

 

「...僕に?」

「お前に」

「何故?」

「秘密」

 

理由すら言わずに殺されようというのか

なんて身勝手な子供だ 全く可愛げもない

そもそも僕は本当に人間が嫌いなのに

僕自身が人間だから殺したくても殺せないんだ

果たしてコイツにそういう微妙な部分が伝わるかな

心とか、感情とか、無意識的な話が

この子供に伝わるの...?

 

しばらく考え込んでいる間に

気付けば結斗との距離は無くなっていた

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緩く、至極優しく 抱きしめられていた

 

「ぅ...え、待って 待って 吐きそう!」

 

少し高いその体温が 僕の皮膚に混ざって飽和する

慣れた咲玖達の温度とは違う感覚に

息が詰まって倒れそうになる

 

だけど、結斗が身体をしっかり支えていて

倒れ込むのを許してくれない

 

「はは、本当に気持ち悪そうだな」

 

「分かったなら 離して、よ...お願いだから」

 

懇願してみたものの

無視を決め込まれてそのまま話が進む

 

「なぁ黒雨...

お前は人間が嫌いなんじゃなくてさ

 

人間が───」

 

何言ってんの...聞こえない

気持ち悪い

 

意識が

 

遠のく

 

 

 

 

 

 

✱続く✱

 

襲生誕祭

「やらなくていい」

 

しかめっ面で遠慮しているのは

本日の主役、襲

 

今日は彼の誕生日という事で

冬羽を筆頭にVanneのメンバー達が

お祝いすると持ち掛けたのだが

 

「祝う気があるなら冬羽と黒雨は今日一日だけでも大人しくしててくれ

パーティーなんざ必要ねぇ」

 

この態度である

 

「襲ぇ...俺の時は盛大なドッキリ仕掛けてくれたのに

自分はパーティーすら遠慮するって言うのかよぉ」

 

巨大ステーキのオブジェに追われたことを思い出しながら抗議してみる

 

「うるせぇ、柄じゃねーんだよ分かるだろうが殴るぞ」

「ぐはっ!」

 

...と、既に殴っているのだが

 

はてさてこのまま彼は静かに誕生日を終えるのだろうか

 

 

「そうは問屋が卸さないってやつだよかさねたーん♪」

 

「あ?」

 

テレッテレッテレッテレッ

テレッテレッテレッテレッ

テレッテレッテレッテレッテレ-

 

「ぴたっごらっすいっちっ!ポチッとな」

 

黒雨が隠し持っていたスイッチを押すと

またまた床が抜け落ち

 

ない

 

「何も起こってねぇ...ぞ っ ?!」

 

不意に天井が開き

上から紙吹雪が降ってきた

 

ファサっと...ではなくドサっと

 

「...黒たーん、ちょっと量が多くない?」

 

降ってきたというよりは塊で落ちてきた大量の紙吹雪に襲は埋もれて見えない

 

「わーっ!襲!今助けるからね!」

 

ちょっとヒラヒラと降らせるだけと聞いていた咲玖が

慌てて襲を救出する

 

「...っ!殺す気かテメェ」

 

手を借りてなんとか紙吹雪の山から抜け出し

黒雨を睨みつける

 

「やーだー、紙じゃ人は死なないもーん

そんな事言うと...これも押しちゃーう!」

 

二個目のスイッチを取り出し

有無を言わせず押す

 

次に襲を襲ったのは...

 

「イッテェ!!!」

 

壁が開き飛んできたのはバスケットボール

これまた大量である

投げているのは見覚えのない人達

 

「なんだアイツら!誰だよ!つーかイテェ!」

 

彼らは事務所と契約しているエキストラの方々

黒雨に脅さr...頼まれて待機していたのだ

 

「襲たんバスケ好きでしょー?」

 

安全な場所に隠れ、呑気な声で叫んでいる

 

「ふっざけんな!バスケが好きだからってボールぶつけられて嬉しいワケねぇだろ!」

 

ようやく止んだボールの嵐に安堵し

息を切らせながら黒雨の元へ行き追いかけ回す

 

「きゃはははは!こわーい!」

 

するとまた、新しいスイッチを取り出した

 

「これで最後だよー♪ポチッとなーん♪」

 

スイッチが押されたと同時に立ち止まり

辺りを警戒する

 

~♪

Happy Birthday To you

Happy Birthday To you

Happy Birthday Dear かさね〜

Happy Birthday To you

 

どこからともなく音楽が流れ

いつの間にか楽屋から出ていた咲玖がケーキを持って登場した

 

「...お誕生日おめでとう襲

君が生まれてきてくれたこと、俺は本当に嬉しいよ

だから少しだけ、お祝いさせてね」

 

微笑みながら、けれど申し訳なさそうに

ケーキを差し出された

 

「別に...絶対に祝うなとは言ってねぇよ」

 

添えられていたフォークを手に取ると

苺を刺して食べる

 

「「いやっほーい!Happy Birthday襲たーん!」」

 

様子を見ていた冬羽と黒雨が駆け寄る

 

「テメェらには祝われたくねぇから帰れ」

 

抱きつこうとした彼らをサッと避けると

ついでに冬羽を蹴った

 

「いった!なんで俺だけ?!」

 

「やーい蹴られてやんのートワたんマヌケー♪」

 

キャーキャー騒ぐ二人を他所に

襲はケーキを食べ続けた

 

「かーさね、また来年も一緒にお祝いさせてね?」

 

黙々とケーキを食べる襲に咲玖がコソッとお願いする

 

「...まぁ、美味いケーキが食えるなら

多少は付き合ってやるよ」

 

未だ騒いでいる馬鹿二人と

少し遠慮が過ぎるお人好しと

この空間と、時間と、ケーキ

 

彼は案外、こういうのが嫌いではないのだ。

『決着』

「なるほど、面白い冗談だね」

 

ここに来て襲の名前が出てくるとは思わなかった

この件に関して彼は完全な蚊帳の外だと思っていた

 

「冗談じゃない...本当に襲に頼まれたんだ

そうでなきゃ俺は何も知らずに過ごしていたよ

黒雨の言う通り、冬羽に異変は無かったからね

襲がどうやって気付いたのかも俺には分からない」

 

「ふーん...」

 

これは本人に聞かないと埒が明かないな

 

「今度は襲たんに責められるのかなぁ...

やれやれ、問題児は辛いぜ」

 

「襲にも全て話すの?冬羽や俺に言った話と同じ事を...」

 

まだ手首が痛むのだろうか

擦りながらなんとか立ち上がった彼は

少し心配そうに伺う

 

「そうだね、もうこうなったら仕方ないというか

そもそも僕は最初から本気で人間が嫌いだって言ってるんだから

信じてもらえてないと困るよ

襲たんがどうやって気付いたのかも気になるからねぇ...」

 

幸い今日はメンバー全員がオフだ

襲も自宅にいるだろう

ここから彼の家までそう遠くはない

 

時刻は午後7時

 

僕はまだ戸惑っている様子の咲玖を放置して

襲の家に向かった

 

道中、冬羽に電話をして

今まで起こっていた事を話すと

他人事のように笑いながら

「まぁ、後は頼んだ!」と言って電話を切られた

 

それから少し歩いて襲の家に着くと

インターホンを無視して扉を開けて入った

冬羽がさっきの通話で「襲の家カギかかってねーから入れるぜ!」などと

彼の防犯意識の薄さを教えてくれたのだ

 

「文字通りお邪魔するよー」

 

廊下を抜けて突き当たりの部屋に入ると

ダイニングキッチンに襲がいた

 

「ああ、黒雨か...どうした?」

 

どんな顔をするかと思ったら

至って普通の表情で迎え入れてくれた

声もいつもと変わらない

 

「んーと、なんだか拍子抜けしちゃったな

まぁいいや

とりあえずお茶ちょうだい

喉渇いちゃって...日本茶ならなんでもいーよ」

 

「?ああ、ちょっと待ってろ」

 

棚から茶葉や急須を取り出す襲を眺めながら

ふと彼の足元に目をやると黒猫がいた

邪魔にならない距離、けれど遠すぎない近さで傍にいる

名前は確かシャーロット

 

(随分と野性の抜けた猫だなぁ...)

 

そんな事を思いながら猫を目で追っていると

お茶を淹れ終えた襲が

僕の前に湯のみを置いて向かいの椅子に座った

 

コーヒーや紅茶を淹れるのは得意そうだけど

日本茶は下手そうだなぁと思いつつ一口飲む

 

「あれ、美味しい...」

 

予想に反して温度も抽出も文句のない美味しさに驚いて

思わず声に出してしまった

 

「あれってなんだよ...お茶くらい普通に淹れられる」

 

「ああ、そう、君って意外と器用なんだ」

 

ズズ...とお茶を啜って一息ついたところで

本題を切り出す

 

「あのね、さっきまで咲玖たんのところで話し合いをしてたんだけど

なんだか君が仕向けた事みたいだから話を聞きに来たんだよ

どうやってトワたんの傷を知ったの?

っていうか、君のせいで色々と面倒が起こった挙句、咲玖たんは言質を取られた訳だけど...どうしてくれるの?」

 

例え気付いても黙って流してくれていたら

僕と冬羽の間の約束は守られたし

咲玖だって余計な痛みを負わずに済んだ

まったく襲にも恨みしかないよ...

 

ちょっと睨みつつ反応を待つと

僕の問いかけに怪訝な顔をして

少し怒気を孕んだ声で話し始めた

 

「冬羽はあれで隠したつもりだろうがな...俺には無駄なんだよ

何年アイツの面倒を見せられてると思ってんだ」

 

知らないよそんな事

つまり冬羽にちょっとは異変があったって事かなぁ?

それを見逃さなかった?

 

うわ、気持ち悪い

僕の気味の悪さと良い勝負だ

面倒だとか厄介だとか言いながらこの男は

冬羽の一挙手一投足を見逃さないくらいには見てるって事でしょ?

見守ってると言えば聞こえがいいけど

ちょっとした変態扱いされても文句言えないよ

そういうのは二次元だけにして欲しい

 

「随分と大切なんだね、トワたんが」

 

「あ?そんな話じゃねぇだろ」

 

そんな話だよ馬鹿

無自覚もここまで来ると素直に感心する

 

「まぁ、気付いた理由はそれでいいや...それよりこの事態はどうしてくれるの?

君が追求したせいで僕とトワたんの間にあった約束は台無しだよ」

 

心底余計な事をしてくれたなという気持ちを最大限込めて責めてみた

 

当然と言うべきだろうか

眉を顰めて舌打ちをされた挙句、ため息をつかれた

ため息をつきたいのは僕も同じなんだけれど

今は黙っておこう

 

「テメェらの約束なんざ知るかよ

冬羽に余計な影響を与えるんじゃねぇ

アイツが壊れた時に引き戻すのは俺の役目って事になってんだぞ

面倒を増やすな、頼むから」

 

何言ってんだコイツ

 

さすがの僕もイラつかずにはいられない

引き戻すのが役目?へぇ、それは大層なお役目ですね

で、お前にそれを言う資格があるのか

いや、ある訳ないだろ

 

「咲玖たんに丸投げした君がそんなセリフよく言えたね

だったら最初から君が僕に問いただせばよかったじゃないか

それすらしないで自分は高みの見物?

職務怠慢もいいとこだよ」

 

痛いところを突かれたのか

一瞬、反抗しようとしてすぐに目を伏せた

当たり前だ 反抗されてたまるか

僕は間違ってない

 

「俺は...」

 

「いーよ言わなくて、分かるから

 

つまり君は僕が怖いんでしょ?」

 

「...」

 

沈黙は肯定の証とはこの事か

分かりやすく黙り込んだ襲に続けて畳み込む

 

「はは、気にするなよ

僕みたいな奴を避けたがらない人間がいるものか

君は正しく僕を避けたんだろ?別にそれが普通の反応だと思うよ」

 

別にフォローのつもりじゃない

僕みたいな奴を避けたがらない人間なんて今までいなかった

両親すら...いや、その話は置いとこう

とにかく僕の本心を知っても変わらなかったのは冬羽くらいだった

 

目の前の男はどうなんだろうか

僕の言葉に少し迷いを見せた後

観念したように口を開いた

 

「俺はお前の人間嫌いが本気だって、最初から信じてるからな...

いつだってお前は隙あらば誰かを殺そうとしてた

そんな目で、俺らを見てだろ」

 

は、はは

なんて事だ...まさか僕の本心を最初から信じてくれてたなんて

嬉しくて顔に出さずにはいられないよ

 

「...何笑ってんだ」

 

「いやぁ...こんなにも人間に感謝したのは初めてだよ襲たん

僕の言葉を信じてくれて、僕の本心を信じてくれてありがとう

けれどそんな君も大嫌いだよ」

 

彼だけは最初から僕をそういう目で見ていて

僕が彼らをそういう目で見ている事を知っていて

それでも今日まで無関心を貫いていた訳だ

 

おかげで僕は

人間が嫌いなのに人間として生きるしかない中で

Vanneという居場所をかろうじて得た

 

「ああ、ごめんごめん話を戻そうか...

君は最初から僕を要注意人物としてマークしてて、トワたんの異変に気付いた時に

真っ先に僕が原因だと判断したけれど、自分で当たるのは怖くて咲玖たんに丸投げした

 

こんな感じでいい?」

 

少々散らかった感のあるここまでの話を

簡単にまとめてみた

今回の一番の被害者は咲玖かもしれない

怖がりな友人に問題を押し付けられて

この僕を許してまったのだから

 

「概ねそんなところだけどな

お前が怖かったのもあるが、咲玖ならお前をなんとか出来るかとも思った

嘘でもお前はアイツに懐いてたからな

俺より可能性はあるんじゃねぇかと...まぁ、無駄だったがな」

 

無駄もいいとこだ

嘘なんだから可能性も何もあるものか

僕は等しく皆が嫌いだ

ただでさえ微々たる人らしさを最大限使って暮らしてるのに

誰か一人に向ける特別な感情なんか持ち合わせていない

 

「ところで...咲玖が取られた言質ってなんだよ

お前、何を言わせた?」

 

今さらそこを気にするのかよ

もっと他に言いたいことがあるだろうに

まだ頭の中で整理中かな?

 

「"黒雨を許す"だよ

僕の二度と殺そうとしないという言葉を信じて、トワたんが許した僕を彼は許した

それで咲玖たんが得た安寧は

仲間同士で傷付け合うことの無い暮らし、日常、Vanneという居場所...

なかなか良い容赦と安寧でしょ?」

 

ここで襲にも同じように言葉を貰おうと思っていたけれど

どうやらその必要はないみたいだ

なぜなら彼は既に...

 

「容赦と安寧か、なるほどな

冬羽とお前の間の約束ってのもそれか

だったら俺も提示してやるよ

 

俺が許すのはお前の本心、得る安寧は無くていい」

 

一瞬どころか数秒

何を言ったのか分からなかった

僕の本心を許す?

安寧は無くていい?

なんだそれは

都合が良いにも程があるだろう

 

「殺されたいのかお前」

 

...おっと、危ない

錯乱して口が滑った

 

「いや、間違えた...えっと

気は確かかな襲たん?」

 

可愛く笑って確認する

 

もしかしたら聞き間違いかもしれない

というか聞き間違いの方が有難い

こんなの都合が良すぎて気持ち悪い

 

「別に狂ってねぇよ

俺はお前の本心を許す

安寧は要らねぇつったんだ」

 

うん、聞き間違いじゃなかった

こんな大事を淡々と言ってくれるな

最初の面倒を増やすなって言葉はどうした

冬羽に余計な影響を与えるなって言葉は?

僕の本心を許したら面倒も影響も定期的に与えるぞ

 

「君、もしかして投げやりになってない?」

 

「なってねぇな」

 

嘘だろ

さっきから顔色ひとつ変えないけど

一体どういうつもりなんだろうか

 

「理由が知りてぇならそう言えよ

俺は途中まで答えを二つ用意してた

いや、細かく言えばもっとか...

けど咲玖が言った言葉を聞いて決めた

冬羽が許したお前を咲玖が許したなら

俺は咲玖が許したお前を許す

もちろん、冬羽に関する今後の面倒は負ってやるよ」

 

そんな伝言ゲームみたいな許され方されても困るなぁ

いや、許してくれるのはいいけどさ

 

「なんて言うかそれは...君が不利すぎない?

さすがの僕も気が咎めてきちゃった

人らしく安寧くらい求めろよ

あるでしょう、僕に消えて欲しいとか

僕を殴りたいとか殺したいとか」

 

「俺にお前は殺せねぇよ」

 

そんな訳あるか

本気の襲に僕は敵わない

背も体力も負けてる

明らかに殺せる

 

「つーか、俺は人が死んでも嬉しくねぇし...今さらお前を手放せるかよ

お前みたいな問題児、冬羽と一緒に監視されるのがお似合いだ

自分に都合の良い展開を素直に喜べ」

 

生憎、僕は根本から捻れてる捻くれ者だからね

喜べないし嬉しくない

大体、手放せないとは何事か

そんなデレ今は求めてない

いっそここで殺し合いになった方がマシだ

 

「そんな聖人君子みたいな提案を手放しで喜べって?無茶言うなよ襲たん

言っておくけど、僕はこれからも無意識に無作為に面倒や影響を提供するよ?

それを君は片っ端から修正していくつもり?」

 

「ああ」

 

これは何を言っても無駄というやつだろうか

僕もなかなか強情だけど、コイツも相当だ

 

さて、ここらで幕引きにするのが妥当だろう

まったく彼の無欲さは理解できないけれど

そもそも僕と冬羽の間では終わった話だし

こんな事になったのは蒸し返した襲のせいだ

もう丸く収まるならそれでいい

 

「分かったよ...別に僕はVanneを失いたい訳じゃないからね

君が許してくれるなら甘えようか

ただ、やっぱり君が不憫だから

僕はトワたんと同じ痛みを負っておくよ」

 

テーブルに置かれたフルーツバスケットに差し込んである果物ナイフを手に取り

自分の鎖骨辺り、冬羽を刺した場所と同じところを刺して見せた

 

襲は目を見開き絶句し、勢いよく席を立つと僕の傍へ駆け寄った

 

「あ、は...フォークとナイフじゃ釣り合わねー

でも、倍返しって事で受け止めてくれればいいや...」

 

「馬鹿じゃねぇのかテメェ!誰がそんなこと頼んだんだよ!」

 

僕が僕を許すにはこれくらいしないと無理だ

人間を嫌いなんて本心を持ち合わせておきながら実際、酷い有様だ

人の優しさに許されて

人の情に甘やかされて

まるで矛盾している

 

だけど僕は今さら人を好きにはなれない

心が、体が、何かが拒んで邪魔をする

僕はきっと生まれてくる種を間違えた

動物や植物に生まれるべきだったんだ

 

「ああ、ちくしょう

君達の傍は生きづらいなぁ...僕の全てが通用しない

出会った事が不運の始まりとしか言えない

最悪だ、最低だ...僕だって君達を手放せなくなっちゃったじゃないか」

 

ハンカチで僕の傷口を押さえながら

彼は優しく笑った

 

「そうかよ、そりゃ良かったな」

 

良いわけあるか勘弁してください

 

...明日から僕は、今までと変わらず

我が儘で適当で可愛い

無邪気と邪気の塊に戻る

 

彼らも何事も無かったように

笑って暮らすんだろう

 

やれやれ、みんな大嫌いだ

いつか同じようにくたばればいい

具体的には50年後くらいに

安らかに滅亡すればいい

 

その時は僕も、喜んで滅ぶとしよう。

 

 

 

 

 

 

~END~

『容赦と安寧』

「冬羽に、何をしたのかって聞いてるんだよ...黒雨」

 

オフ日の午後4時、咲玖に呼び出されて彼の部屋に来ていた

問いただされているのは何の事だろう?

さっきから考えているけれど

一向に思い当たらない

 

「んー...今日はトワたんに会ってないから何もしてないよ?

変なこと聞くねぇ...夢見でも悪かった?」

 

事実、今日はこの部屋に来るまで自宅で寝ていた

冬羽から連絡も無かったし本当に会ってない

僕は嘘はついてない

 

のに...

 

「そうじゃない、そうじゃないよ黒雨

今日の事じゃなくて

きっと、恐らく数週間前の事だ

君は冬羽に"何か"をしたんだ」

 

数週間前...美味しいケーキを食べながら過ごした日

そう、美味しいケーキを食べたついでに

「トワたんを刺した日だね、フォークで。」

 

「お前...っ、何を...」

 

「でもおかしいなぁ...確かその話は僕とトワたんだけの秘密だよ?

なーんで咲玖たんがそんな事知ってるのかなー

...と、思ったけど違うか

君ってばトワたんが隠しきれなかった異変に目ざとく気づいた訳だ?

それで真っ先に僕を疑ったのはどういう了見かさっぱり分からないけれど

まぁ、その偏見については見当違いじゃなかった事に免じて許すよ」

 

にっこり笑って僕は咲玖を許してあげた

人らしく情の過ぎる彼を優しく許してあげた

これは褒めてもらわないと割に合わない

 

「笑い事じゃないだろ!仲間を傷付けるなんて何を考えてるんだお前は!

いくら俺でもそんなの許容できないよ!」

 

えー、褒めるところだと思うんだけど

なんで掴み掛る勢いで怒ってるんだろう

咲玖ってこんなに情緒不安定だったかな

 

「許容できないって...今は君の狭量さの話じゃないでしょ?

そもそも僕はトワたんに許されたし、僕もトワたんを許したよ

つまり、えーっと、そう...君には関係ない」

 

だってあの事件は事件にならず終わった

冬羽が殺されたがった事実も

僕がフォークで冬羽を刺した事実も

全部、終わった話なのだ

ここで咲玖が出しゃばる問題じゃない

 

「関係ない?そんな訳ないだろ!仲間が仲間を刺すなんて残虐な事件...俺には放っておけない!」

 

勢いよく肩を掴まれてちょっと首を傷めた

言っておくけど僕の身体は強くない

筋肉もないしそもそも骨が細い

フォークで人を刺す程度の力しかないのに

この男ときたら遠慮なく揺さぶってきた

 

「あー...首が痛い、肩掴んで揺らすのやめて

やれやれ君はお節介が過ぎる上に暴力的ときた...こんなの僕の手に負えないよ

負けても負えない負えても負ける

だから...離して」

 

「痛っ...?!」

 

さて、みんな知ってるよね

人間は関節をぎゅーってされると痛いの

護身術に使えるよ、覚えて帰ってね

 

「子供の頃に一人はいたでしょ?

友達の手首を絞めて『痛い?(笑)』って聞く奴...何が楽しいのか分からないあの戯れ

まさかこの歳になってやるとは思わなかったけど...ねぇ、痛い?(笑)」

 

手首を押さえて距離を取ろうとした彼に

ぐっと顔を近付ける

 

「君は僕の手に負えないけど、君の手に痛みを負わせるくらいは僕にも出来る

仕方ないから聞いてあげるよ

君は何が望みで終わった話を蒸し返してるの?」

 

じっと見つめて話を促すと

睨むような、畏怖するような

複雑な目を向けて口を開いた

 

「だ、から...仲間を...「ごめんやっぱり面倒だから今のナシ」

「え?」

 

手首を押さえている方の手を掴んで

さっきより強く握り締める

骨を折る気で握ればちょうど非力な僕でも彼を無力化できるはずだ

 

「!い゛...ぅ、あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙!」

 

「...あれ?」

 

思ったより反応がえげつなかったので

パッと力を緩めると

彼はうずくまって唸り出した

僕って意外と握力あるんだなぁ

 

「黒 雨...なんで、こんな事を...?」

 

なんだそのセリフは

それじゃまるで僕が残酷な犯罪者か何かみたいじゃないか...失礼しちゃうな

なんでってそんなの...そんなの...

 

「...?理由か、理由...えっとねー

あ、昨夜の夢見が悪かったから」

 

「...は?」

 

「昨夜の夢見が悪かったから君に八つ当たりした

そんな感じでどう?」

 

「どう?って...お前...」

 

「オマケに君が持ち前のお節介で終わった話を蒸し返した挙句、僕を揺さぶって首を傷めたから仕返しした」

 

未だ座り込み手首を押さえている彼を見下ろして

懇切丁寧に"理由"を説明したのだけど

どうも彼は放心しているようだ

ちっとも反応がない...

 

「咲玖たーん?」

 

「...っあ、お前は...おかしい...」

 

「おっと、イキナリ悪口?

うん...まぁいいよ

そういうのは気にしないから

それと、僕は一番大事なことを言い忘れていたからね

その混乱を少しでも緩和するために教えてあげるよ」

 

さっきから咲玖の反応に違和感があった

どうして彼はこんなに物分りが悪いのか

どうして僕に対して"仲間"なんて言葉を連呼するのか

そう、僕は大事なことを伝えてなかった

冬羽に話したことで他の人にも伝わった気になっていた

 

「僕はね、本当に人間が嫌いなんだよ

冗談じゃなくて、嘘でも照れ隠しでもキャラ付けでもなくてね?本当に人間って生き物が嫌いなの

だから君達を仲間だとは思ってない...」

 

冬羽に話した時と同じ説明をした

微生物より微々たる感情と人らしさを最大限使って彼らと仲良くしていること

本当に殺したいほど嫌いなこと

でも殺せないこと

そう、あの日冬羽に話したことを教えてあげた

 

こうなったらいっそ襲たんも一緒に聞いてくれたら今後が楽だったのにとか

途中からそんな風に思いながら話していた

 

僕の言葉を聞くたび咲玖の目は伏せがちになり

ちょうど頭を抱えだした辺りで話し終えた

 

「...つまりそんな訳で僕はトワたんを刺したけど、トワたんは僕を許したってコト 分かった?」

 

僕の問いかけに答えようとせず

ただただ黙り込む彼に寄り添い抱き締めた

一瞬、身体が強ばったのを感じたけれど

構わず続けて話しかける

 
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「ねぇ、咲玖たん...僕はトワたんを刺した後に言ったんだよ

こんな事を君や襲たんが知ったら

Vanneは終わりだと思うよって

でも、トワたんは君達を過大評価してこう答えた

『襲と咲玖がそんな薄情だとは思わねぇ』ってね...」

 

肩を支えて覗き込むと

少し震えながら顔を上げて僕を見た

その表情はなんと言えばいいのか

今にも泣き叫びそうな表情で

けれど、何かを理解しようと必死なようにも見えた

 

「...こんなの、情の問題じゃない

刺したお前も刺されて平気な冬羽も

そんなお前達を情だけで許すと判断した二人の考え方も全部、全部おかしい...

 

おかしいのに...これじゃあ俺が間違ってるみたいじゃないか」

 

よく分からないけど、きっと咲玖は間違ってない

僕らの中で一番の常識人と言われる彼のこと

多分その考え方が一番正しいのだろう

だけど...

 

「君は間違ってる訳じゃないと思うけどね

残念ながら君が身を置いてる場所は

その正しさこそが仇になる」

 

だからって僕が間違ってる訳でもないけど

 

「どうして、お前達は正しく生きられないんだ...せめてVanneの中だけでも

嘘でもいいから正しく平和に生きてくれよ」

 

懇願するように僕にもたれる彼を見て

果たして僕は何を思っただろう

可哀想とか、申し訳ないとか

そんな感情が湧けば良かったのかもしれない

 

実際は、全く記憶にないほど何も思わなかったのが真実だけど

 

「それは無理だよ...というか、よくそんな酷い無茶を言えるね

そもそも、僕もトワたんも自分なりに容赦と安寧ってのを持ってるのに

何も持たない君が偉そうに言うなよ」

 

あ、今なんで俺が責められてるんだって顔した

さすがの僕にも分かった

だけど、こんなの責めたくもなって当然だ

 

「...容赦と、安寧?」

 

「僕は人間が嫌いだけれど、僕にだって人らしさがある...だから君達を許してVanneという場所に身を置き、これでも平和に暮らしてる

トワたんは唯一、僕みたいな奴が苦手だけれど...僕を許してVanneを守り

あれでも平穏に暮らしてる

なのに君ときたらあれも許さないこれも許さない

何も容赦しないどこにも安寧がない

そんなの...許されるわけないでしょ

もしかして君は、自分が正しいから全て自分に従えとかそういう独裁的な話をしてるの?」

 

なんとなく最初から分かっていた

Vanneの中で不協和音を乱すのは咲玖だと

だって出会った時から彼は綺麗な音ばかり

なるほど、それは確かに個々の不協和音となら上手く合わさって素敵な音楽になるかもしれない

けれど、二対一、三対一になればどうだろう

こうやって綺麗な音は不協和音に飲まれて

消え入りそうになりながら足掻く

 

「違う...俺はただ、大切な人に傷付いて欲しくないだけだ

大切な人に...刃を振るって欲しくないだけだ...」

 

こんな事になっても僕を大切だという

彼も一度好きになったら二度と嫌いにならないタイプなのだろうか

本当に人間は分からないな

 

「まぁ、それが君の安寧だと言うのなら

簡単な話だよ、僕を許す事だ

僕は誓ったよ?どうせ殺せないんだから金輪際、君達を殺そうとはしないって

だったら君が許すのは僕の過去の過ち、たった一つでいい

それだけで君も僕らと同じ

平和で平穏な暮らしが出来る」

 

本当は過ちだなんて思ってないけど

 

そもそも冬羽が殺されてみたいなんて言わなければ

僕の人間嫌いを軽視しなければ

あんな風に会話を"誘導"しなかったのに

全く、冬羽には恨みしかないよ

 

「黒雨を...許す...?」

 

「そう、僕を許すんだよ

子供の悪戯を笑うように

無意識の無礼を流すように

不意の事故を示談にするように

凄惨な被害を不運で済ませるように

...それだけで、君に安寧が訪れるよ」

 

ここまで言ってふと思った

何故こんなことになったのかを

 

冬羽はあの後、本当に誰にも何も言わず

傷も見えないようにバレないように

それはそれは上手く隠していた

僕もしれっとしていたし

特にお互いを避けたりもしていない

どころか今まで通り一緒に襲たんをからかって遊んでいたくらいだ

 

正直、一生バレない自信があった

なのに...ズバリ言い当てられたわけじゃないとはいえ

咲玖は僕が冬羽に"何か"をしたのだと

察して、問いただし、僕に吐かせた

 

冬羽が隠しきれなかった異変に気付いたんだね...と言いつつ

僕は納得していなかった

冬羽は隠しきっていたから

 

そうなるといよいよ訳が分からない

どうやって彼は僕と冬羽の秘密に気付いたんだろう...

 

「許すよ」

 

僕の提案を聞いた後

しばらく考え込んでいた咲玖がポツリと呟いた

 

「ん?」

 

「俺はお前の過去を許すよ...黒雨

二度と殺そうとしないって言葉を信じて

冬羽が許したお前を許すよ...」

 

「そう、良かった

これで君も僕らと同じになれたよ

晴れて安寧は君のものだ、おめでとう」

 

顔は全然、許すって顔じゃないけどね

言質は取れたし僕は構わない

 

「ところで、一つ気になることがあるんだよ

許すついでに教えてくれない?」

 

「...何を?」

 

「君が今回のことに気付いた訳を教えておくれよ

話を進めるためにトワたんの異変に気付いたどうこう言って決め付けたけど

...そんな訳ないよねぇ?」

 

率直に疑問をぶつけると

分かりやすく目を泳がせた

人の目って本当に泳ぐんだなぁ

反応からしてやっぱり冬羽に異変があった訳じゃない

さらに言うと真実は多分、ロクなものじゃない

 

なにやら迷った後、咲玖が重い口を開いた

 

「俺は、気付いた訳じゃない

襲が...頼んできたんだ

 

『冬羽が怪我した理由を黒雨に聞いてこい』って」

 

へぇ、襲が...

 

「...なるほど、面白い冗談だね。」

 

 

 

 

 

 

 

……To be continued(?)

『"だろう"とか思っているから』

「俺、死んだらどーなるのっかなー?とかそんな好奇心は薄れたんだけどさ、じゃあ果たして殺されたらどうなるのっかなー?なんて思い始めたんだけど、お前どう思う?

...ねぇ、黒雨」

 

二人きりの楽屋で

唐突に、けれどほぼいつも通りに

冬羽の"好奇心"が発揮されていた

 

違うことと言えば、相談する相手が違った

本当にいつも通りならばそこには襲がいるはずであり

そして襲はこれまたいつも通り『テメェを殺す手はねぇな』などと答えつつ阻止するはずだ

 

しかし今回、目の前の相談相手は黒雨

無邪気と邪気の塊で

無邪気が邪気を被り

邪気が無邪気を被った彼は

当然、襲のような答えはしない

そして、こんな相談をされても顔色ひとつ変えず

差し入れのケーキを食べながら言うのだ

自然に自然とこんな答えを...

 

「へー、ほー、ふーん

トワたんは殺されたいんだー

じゃあ今すぐ何もかも終わりにしようよ
僕が粛々と手伝ってあげる
安心して、直ぐ一瞬で尽く完全に恙無く軽率に悠々と安易に終わる
その気になれば命なんてそんなものさ
君はそれを!望んで!いるんで...しょっ!」

 

さっきまでケーキを突っついていたフォークの柄を握り込むと

躊躇なく頸動脈目掛けて振りかざした

 

「っ...ぅおぉあっぶね!」

 

間一髪のところで避けられたフォークが

冬羽の後ろの壁に突き刺さり止まる

 

「...ちょっとぉ、避けたら殺せないでしょー?って、あっ!抜けないぃー!」

 

しっかり壁を刺したフォークは簡単には抜けず

黒雨は唸りながらなんとか引き抜いた

 

「ぃや、いやいや黒雨くーん...まさか本当に殺されると思わねーじゃーん

トワたんビックリだわー

つーか、お前を殺人犯にはしたくねぇし!」

 

驚きと若干の恐怖で笑顔の引き攣る冬羽を他所に

何事も無かったように引き抜いたフォークで再度ケーキを食べながら話しを進める

 

「僕は別に殺人犯になってもいーよ

だって殺人したからって自然は汚れないしー

むしろ自然を汚す人間が減るなら結果オーライ?

あー、でも骨は残るんだよねぇ

人の骨って土に還らないんだよ...はぁ、全く迷惑だね」

 

(何の話をしてるんだ...)

 

完全に本来の"相談"からズレているし

例え本人が良しとしてもやはり友人を殺人犯にはしたくない

かと言って冬羽の相談内容に、その好奇心に嘘はないのだ

本当に殺されたらどうなるのか気になるし

もしさっきフォークを振りかざしてきたのが見知らぬ他人なら構わず刺されたかもしれない

 

「あのー、黒雨?俺は殺されたらどうなるのかなって思っただけで、殺されたい訳じゃねーし

やっぱりお前を殺人犯にはしたくないし

んでもって...」

 

「殺されたらどうなるのか知りたいなら殺されてみなきゃわからないし

つまり君は殺されたいんだって結論にしか至らないし

殺されたら僕が殺人犯になろうが君には関係なくなるし

んでもって、君は好奇心の使い方を間違えてる」

 

薄々気付いているだろうか

黒雨という人間は"こう"なのだ

 

答えは大体0か100で

120は無くとも-100はあって

人間の命の重さはピラミッドの一番下で

自分の身の振り方はどうでも良くて

つまり人間に対してどうしようもなく"非情"

 

法律も常識もルールもしきたりも

人間が作ったものであり自然のものではない

だから従う価値はない

そしてまた自分自身も人間であるがために

大切にする必要がない

 

それでも彼が今日まで生きているのは

人間として消しようのない本能、死への恐怖を克服できずにいるからだ

もしそれを消せたならば、彼は明日にでも全人類を巻き添えに死ぬだろう

 

自然を自然と殺しているのは人間

後から来たくせに我が物顔で生意気だ

地球滅亡は阻止しても人類滅亡は喜んで受け入れる

それが黒雨の考え方である

 

「えーっと、まぁ黒雨の自然大好き人間嫌いは置いといて...好奇心の使い方ってなに?」

 

生クリームでデコレーションされた口周りも気にせず

ケーキのイチゴをちびちび食べながら冬羽を見つめる

 

「好奇心ってのはねぇ、分かりきったことには使わないんだよトワたん

いつも思ってたんだけど...傍から見たら君ただのメンヘラだよ

『Vanneを辞めたらどうなるか?』解散するか君がいないだけの新生Vanneが始動するかどっちかだろ

『死んだらどうなるか?』死ぬよ

『殺されたらどうなるか?』死ぬだけだよ

どれもこれも"それだけ"だよ

そんな程度の答えしかないよ

君はそんな程度も想像つかない...ワケないよねぇ

だからって止めて欲しいとか心配されたいとか注目されたいとかでもない

ただ好奇心の使い方を間違えてるんだ」

 

根も葉もない

進路も退路も経ちかねない事実を淡々と告げると

この話は終わりとでも言うように黙々と残りのケーキを食べ始めた

 

「...やっぱり、そんなもん?」

 

「やっぱりそんなもん。だよ...それ以上も以下もない

死にたくないなら二度と考えない事だね

まぁ、もっとも"殺してみたい"とかいう好奇心なら僕は喜んで付き合うよ」

 

「殺したら相手が死ぬだけとは言わねーのな」

 

「...うん?そりゃあ死ぬだけだよ

でもねぇ、僕は一人でも人間が減るなら万々歳だし

もしかしたら命を奪った罪悪感みたいなものが生まれて死にたくなるかもしれないし

そしたら僕も減って万々歳だよね」

 

またしても論点をズラされた気がする

 

「黒雨さぁ、そんな人間嫌いなのによく俺らと仕事したりプライベートで遊んだりできるよな...それこそ殺したくならねぇ?」

 

「うん、なるよ」

 

ケーキを食べきって次のおやつに手を伸ばしながら

日常会話的に恐ろしい答えをしれっと言う

 

「...なるのかよ」

 

「でも僕も残念なことに人間だから、なけなしの友情とか同情とか愛情とか

米粒くらいの罪悪感とか恐怖心とか背徳感とか

申し訳程度の喜怒哀楽なんかがあるわけで...

そんな諸々の脆弱な人間らしさを最大限使って君達と仲良くしてるの」

 

「あ、そう...そりゃどうもありがとうございます」

 

「どういたしましてー

まっ、君達って僕が好きだからね!

こんな人間嫌いで我が儘で適当で可愛い僕のコト...何故か好きでしょ?」

 

そう、冬羽も咲玖も襲も...事務所のスタッフ達も黒雨が好きだ

"何故か"好きなのだ

 

「はは、ほーんと何でか分かんねーけど大好きだぜ黒雨」

 

「...本気にしてないからだよ」

 

「え?」

 

鈍い音と共に鋭い痛みが走った

鎖骨の辺りに違和感を感じる

目の端に嫌でも映るそれは

 

「...っあ、フォー...ク...?」

 

「僕が本当に人間嫌いだと思っていないから

僕が本当に人類滅亡を歓喜すると思っていないから

僕が本当に人間であることを残念で仕方ないと思っているなんて

まさか、まさか、まさか!自分も人間のクセに人間を嫌いだなんてそんな!

中二病じゃあるまいし...ってねー?」

 

 

「って...あ、嘘だろ黒雨...お前」

 

先程、壁を突き刺したフォークが

今度は確実に冬羽の首元に刺さっていた

運良く急所は外れていたが

見事に刺さったそれは

抜くのも放置するのも怖かった

 

冬羽は黒雨から距離を取り

フォークごと首元を押さえる

 

「君達が僕を好きなのはね、なに簡単な話だよ

僕をただの自然愛好家だと思ってるからだ

そして大体自然を壊すのは人間だから

まぁつまりそんな感じで人間を嫌いだなんて言ってるだけだって

本当は友達だけは大切で、本当に人類滅亡なんて起ころうものなら他者と共に阻止する道を選ぶだろうと

"だろう"とか、思ってるから...まぁ君はそんな目に遭ってるんだけどね?」

 

「は、マジかお前

本当に人間が嫌いだって言うのかよ...」

 

「まぁね

けれどもう一つどうしても、忌々しくも本当の事がある

僕にもなけなしの米粒くらいの申し訳程度の感情が存在するから

だから...急所を外しちゃった」

 

「俺的にはラッキーな訳だけど...あー、ホントまさかだわ

まさか刺されるとは思ってなかったし

つーか、お前の言った通り勘違いしてたよ俺は」

 

「そう、だと思ったー

人は殺したら死ぬし僕は人が嫌いだし嫌いなものは殺したい...僕はいつだってこんなにも正直にお伝えしてきたのに

誰も本気にしてないからビックリしちゃって

本当にもうどうしようかと思ってた」

 

「でも、お前はやっぱり人を殺せない...だろ?

えーっと...なけなしの米粒くらいの申し訳程度の感情があるんだからさ」

 

「嫌なとこ突いてくるなよトワたん

いや、突かれてるのは君の首元だっけ

まぁいいや...そうだよ殺せない

で?だからって君は明日からまた僕を好きでいられる?明日からまたオトモダチに戻れる?そーんな都合のいい...」

 

「戻る必要はねーよ、そもそも今だって未だに俺はお前が好きだし友達だと思ってるぜ、黒雨」

 

───今回、冬羽は相談相手を間違えたが

黒雨もまた相手を間違えていた

突き刺した相手は何かを嫌うとか軽蔑するとかそんなネガティブな感情を持ち合わせていない

全てをポジティブに変換するような男であり

また、一度友達と"思い込んだ"相手を

二度と他人とは思わない男だった

 

「今まさに刺されたのに友達のままだって?あっははー、バッカみたーい

そう言えば君ってそんな奴だった

忘れてたよ...失敗したなぁ

でも襲たんや咲玖たんはどーかなー?

僕が君を刺したなんて聞いたら

怖くて二度と僕に近寄れないんじゃない?

それこそ今日にでもVanneは終わりだよ」

 

「襲と咲玖がそんな薄情だとは思わねーけど...まぁ、だったら俺が黙ってればいいんじゃね?バレなきゃオールオッケー的な?」

 

「うっわー、ポジティブもそこまで行くと病気だよ

なのに後ろ向きな好奇心でいつも襲たんを困らせてるんだ...タチ悪ぅい

でも、いーの?ここでトワたんが黙ったら、僕は次に襲たんや咲玖たんを刺すかもよ?

殺せないからって殺さない理由にはならない」

 

「いやいや、なるっしょ

殺せねーのに殺したって骨折り損じゃん

お前はそんな面倒はやらねーよ」

 

人間嫌いでも、我が儘で適当で可愛い黒雨のこと

そんな邪気だけの行動はしない

それは冬羽も襲も咲玖も...みんなが知っていた

そして、それは事実だった

 

「...あーあ、僕の可愛さが仇となったね」

 

(可愛さじゃなくて我が儘で適当ってところだと思うんだけど...)

 

「じゃあもうトワたんの甘さに甘えて僕は明日からもしれっと君達の友達でいるよ

せーぜー怪我がバレないように尽力してよねー」

 

「はは、大丈夫だって

見た目はエグいけど言ってもフォークだからな...大した傷口じゃねーよ」

 

「あっそ、そりゃなによりでー」

 

こうして黒雨の初めての人殺し(未遂)は

本当に何事も無かったように終わり

翌日からまた、平和なVanneの活動が続いた

 

冬羽はこれ以降、黒雨に相談することは無くなり

代わりに襲が全て負うことになった

黒雨はこれ以降、殺すことはしなくなり

代わりに咲玖がしこたま我が儘を聞く羽目になった

 

「なぁなぁ黒雨、いくらなんでも咲玖に我が儘言い過ぎじゃねぇ?」

 

「直接殺せないなら間接的に過労死とかどうかなーと思って、実践中★」

 

「咲玖たーん!逃げろー!」

 

 

 

 

 

もちろん

襲も咲玖も急に負担が大きくなった理由を知らず

ただただ振り回される日々を送ることになったのは言うまでもない