ユメウツツ

君ありて、幸福

天使の涙

あの日僕は、僕にお別れをした…


目が覚めるとそこは見知った場所だった
この辺りで一番大きな教会
僕が育った"家"

中に入ると人気は無く、瓦礫で床も疎らにしか見えない
上層部の長年に渡る不祥事が原因で
先日、内部崩壊が起きて潰れてしまった

僕はその不祥事の"被害者"だと教えてもらった
確かにずっと地下深くの部屋に軟禁されていて
だけどそれが普通じゃない事を知る術もなかった僕は
外の世界があること、朝と夜があること、幸せや不幸という概念があること、この世界に救いがあることすらも知らずに生きていた

そんな僕を暗い地下から連れ出してくれたのは
気まぐれだけど優しくて強い女の人と
口が悪くて乱暴だけど温かい手で僕を抱き上げてくれた男の人だった

その時僕は、地下にいた頃に教会の人から言われたことを思い出した

「誰もお前に会いになど来ない
こういう場合、来るとしたら親だろうが...
残念だったな、お前の親はもういない」

親というものが何かは分からなかったけれど
きっとパパとかママとか、お父さんお母さんって呼ばれている人のことだと思った
それと同時に、親がいないなんて嘘だったんだと思った
だって、僕に会いに来てくれた女の人と男の人がいる
この人たちは僕の...「まま、ぱぱ...」

そんなつもりは無かったけれど、自然と言葉にしていた
二人は一瞬びっくりした顔をして、それから笑った

「オイオイ..."ぱぱ"だとよ、隠し子か?」

女の人が男の人の肩に手をかけて寄ると
男の人はため息をついた

「あー?それで言ったらお前が俺の嫁だぞ
なんせお前が"まま"なんだからな」

そんなやり取りをしばらく続けた二人は
ふと僕を見て真剣な顔になった
「どうしたの?」と、声をかけると
女の人が僕の顔を手で包んだ

「うん、決めた...私はお前の親だ
今日から私がママだぞー
...あ、でもお母さんの方がいいなぁ」

苦笑いをしながら男の人に抱き上げられたままの僕に擦り寄ると、優しく撫でてくれた

「十架...」

「?」

「お前の名前、無いんだろう?
親である私が付けてやらないとな、だから十架だ
これから先の人生、この十字架の名前があれば
災厄から守られるだろう
安易だけどな、言葉には力がある
この名前がお前を守ってくれると私が宣言しよう」

「ありがとう...おかあさん」

僕はなんだかくすぐったくて、少しだけ息が苦しくなった

それから三人で教会を出ると、お父さんとは違う黒くて長い髪を束ねた男の人がいた
お母さんが駆け寄って短く話をした後、僕を手招きしたので
お父さんから降りてソロソロと歩み寄った

「これ、私が預かる事にしたから
助けたのは私達なんだ文句はないだろ?」

「...犬猫じゃないんだよ、そんな簡単に決めていいことじゃないと思...「やーだーね!
人の子なのは分かってるよ、でも絶っ対に幸せにしてやる
私は、上層部の奴らみたいにこの子の言葉を否定したり行動を制限したくない
私はこの子に小さな幸せを沢山教えてやりたい」

お母さんはそんな話をしばらくして、僕を抱き締めた

「何もかも間違っていたとしても、ここはお前の家だった場所だ
過去のお前に別れの言葉を告げな?
もうここには、戻らないからね」

そう言うと優しく僕の背中を押して
教会の方へと体を向かせた
僕は言葉を考えた、いっぱい考えた
だけど言葉なんてあまり知らなかったから
どうしても気持ちの全部は表せそうになかった

その時、教会の入口に人影が見えた
そこには紛れもなく昨日までの僕が立っていた

「あえ...ぼく...」

「十架?」

どうしてかなって思ったけど
その気持ちはすぐに消えて
代わりに言葉が出てきた

「あのね、ごめんね...僕いくね
おとうさんとおかあさんが出来たよ
あのね、ありがとね...僕これから外の世界が見られるんだ
それは今までがあったからだとおもうの
それからね、あのね

あのね

さよなら...昨日までの僕...」

何を言っているのか自分でも分からなかった
でも言いたいことは言えた気がした
僕がゆっくりお母さんの方に向き直ると
「これからが始まり」と言って抱き締めてくれた

とめどない涙と一緒に今まで出したことのない声が僕の中から響いていた…

僕は初めて"泣く"ということを知った






著:恩田 啓夢