『相対』✱参

俺はその目をよく知っていた

嫌という程、見慣れていたんだ

 

俺には五つ年の離れた兄がいた

特別、頭がいいとか顔がいいとか

そんなんじゃなかったけど

とにかく優しい兄だった

 

いつも俺のくだらない遊びに付き合ってくれて

母親の手伝いも率先してやりながら

仕事から帰って来た父親を労い肩を揉む

そんな自慢の兄だった

 

だけど、気付いていた

兄が時折みせる"眼差し"

憎しみと畏怖の混じった視線

それが日常の至る瞬間に現れては消える

 

まだ幼い子供だった俺に

その眼の意味を知ることは出来なかったけれど

本当は兄が家族を嫌いなのかもしれないと

そう、心の片隅で考えたりした

 

ただ、父や母は何も気付いていないようだった

兄の優しさに誇りを持っていて、反抗期が無かったことを度々他所の親に自慢していた

 

ある冬の日

父は出張、俺は学校のクラブ活動で家には母と兄しかいない日があった

そんな特別な事じゃない 今までも何度かあった

だけどその日は、特別な日になったんだ

 

クラブ活動を終えて帰宅すると

いつも玄関まで迎えに出てくれる母がいなかった

少し不思議に思ったけれど、料理でもしていて手が離せないのだろうと気に止めなかった

 

「ただいまー」

 

開けっ放しのドアからリビングに入ると

そこにはソファに寝ている兄がいた

 

「兄さん、こんな所で寝たら体が痛くな...る...」

 

それは、寝ているというにはあまりにも惨い

大好きな兄の変わり果てた姿だった

 

包丁で胸をひと突き、その柄を握りしめたままの両手には

血で染まった紙がくしゃくしゃになって握り込まれていた

 

俺は恐る恐るその紙を引き抜いて、震える手で開き、読んでみた

 

"その存在が罪だと

人間はいつまで経っても気付かない

だけど同じ人間の僕には気付かせる術がない

消え去るしかないんだ

俺は生まれてくる種を間違えた

さようなら、来世はどうか鳥になれますように"

 

「...なんだよ、これ」

 

頭の中に、優しかった兄の笑顔と俺だけが気付いていたあの眼がぐるぐると駆け巡った

 

目眩と吐き気に襲われ急いでキッチンへ向かうと

シンクを目の前にして何かに躓いて転んだ

 

起き上がり、後ろを振り返る

 

緑色のエプロン

柔らかいロングワンピース

緩く束ねた髪にシンプルなバレッタ

それは紛れもなく母だった

 

お腹の辺りから流れ出している赤色が

俺の足元までつたっているのを見て

息をすることすら忘れそうになった

 

それからの事はあまり覚えていない

きっと外に飛び出して近所の人に助けでも求めたのだろう

気づいた時には父が帰って来ていて、警察官が慌ただしく動いていた

兄と母がいた場所には血痕だけが残っていて

その後、二人の姿を見たのはお葬式の時が最後だ

  

"兄による無理心中"事件はその方向で片付けられた

動機は不明という事になっている

 

俺が見つけた兄の遺書は、警察には見られていなかった

記憶にない放心状態の中で無意識に隠したらしい

何故隠したのかは俺にも分からない

そしてその遺書は、今も俺の手元にある

 

✱✱✱

 

当時、七歳だった俺は今年十五歳になった

事件から八年が経過した今でも

時折あの日を夢に見る

 

今は父とアパートで二人暮らしをしている

元々は一軒家だったけれど、住み続けるには辛すぎたために引っ越した

 

父はあの日から仕事漬けの毎日を送るようになった

"働いていると気が紛れるんだ"といつも疲れた顔で話す

お酒やギャンブルに逃げなかったのは、まだ子供の俺がいたからかもしれない

 

斯く言う俺も十四歳で芸能の仕事を始めた

学校で退屈な授業を繰り返し受けたところで気は紛れない

慌ただしくて、賑やかで、休む暇もないような仕事が良かった

最初は子役事務に入ってノウハウを学んで

セルフプロデュースで活動するようになったのが十五歳の誕生日の後

 

次の仕事で自分が参加する雑誌のバックナンバーをペラペラと捲っていたその時

一人の男に目が止まった

 

黒髪に小さな顔、小柄な身体...そして

 

「兄さんと同じ眼...」

 

 

同じと言っても色形じゃない

眼差しだ

憎しみと畏怖が混ざったような眼

 

雑誌の写真だからだろう、その要素は微々たるものだった

でも、じゃあ素のコイツの眼はどうなんだ

兄さんが時折みせたあの眼より

もっと強い憎悪が含まれているんじゃないか

 

「...コイツになら分かるのか?」

 

"生まれてくる種を間違えた"と嘆いた心

"鳥になれますように"と願った最期

兄さんの気持ちが、考えが、苦しみが、本性が

同じ眼をしたコイツになら...

 

 

 

 

 

 

✱続く✱